第一章 四谷の歴史スポットをたずねるウォーキング

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四谷タウン歴史スポット・ウォーキングマップ

【ルート】東京メトロ丸ノ内線四ツ谷駅新宿方面ホーム(ルート起点)→JR四ツ谷駅近辺→四谷大通り(新宿通り)→若葉町・寺町→須賀町→左門町→大京町→四谷三丁目→四谷四丁目→舟町→荒木町→東京メトロ丸ノ内線四谷三丁目駅(ルート終点)。

【所要時間】歩行約1時間33分(歴史スポットでの見学時間は含みません。1個所10分程度ですと、13スポット×10分=2時間10分が加算され、合計3時間43分となります)。
・丸ノ内線四ツ谷駅ホーム→JR四ツ谷駅 約5分
・JR四ツ谷駅→西念寺 約10分
・西念寺→戒行寺 約2分
・戒行寺→須賀神社 約3分
・須賀神社→愛染院 約4分
・愛染院→東福院 約1分
・東福院→お岩稲荷 約18分
・お岩稲荷→長善寺 約13分
・長善寺→全勝寺 約15分
・全勝寺→津の守弁財天 約12分
・津の守弁財天→金丸稲荷神社 約2分
・金丸稲荷神社→丸ノ内線四谷三丁目駅 約8分

出発地点 東京メトロ丸ノ内線四ツ谷駅新宿方面ホーム

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1.旧御所トンネル 東京メトロ丸の内線四ツ谷駅hoshi15.gif
迎賓館(旧・東宮御所)の地下を四ツ谷駅から信濃町方面へ貫通する鉄道トンネル「旧御所トンネル」は、明治期の旧甲武鉄道(現在のJR中央本線の前身)が造ったものが今も現役で使われている貴重な鉄道遺産でもあります。明治期の建築物らしい赤レンガ造りの旧御所トンネル(現在は単線用トンネル)は、東京メトロ丸の内線四ツ谷駅の新宿方面行きホーム南端(赤坂見附寄り)から見られます(総武線下り線路)。
明治期に畏れ多くも東宮御所の下にトンネルを通すことが許されたのは、日清戦争直前の軍事優先の方針により青山練兵場(現在の明治神宮外苑)への便利を優先したためとのことです。(このトンネルにより明治27年に新宿駅~牛込駅間が開通しました)。




丸の内線四ツ谷駅を下車して駅を出ると正面が新宿通りです。信号をアトレ四谷のほうへ渡ると右側に石垣が見えます。

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2.四谷見附跡 JR四ツ谷駅hoshi15.gif
江戸時代の寛永16年 (1639年)頃、甲州街道の要衝の地として現在のJR四ツ谷駅あたり、外堀の内側に四谷御門が造られました。門は明治5年に撤去されましたが現在わずかにその石垣の一部を残し往時を物語ります。近世最大級の城郭遺構の江戸城外堀跡は国の史跡です。


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3.四谷見附橋 JR四ツ谷駅hoshi15.gif
江戸時代、甲州街道は新宿に近づくと防御上の配慮によってコの字型になっていたため、明治時代になるとこれが交通の障害になりました。このため東京市は明治44年、外堀に架橋して街道を直進させる工事に着工、大正2年9月に完成したのが四谷見附橋です。四谷見附橋は迎賓館および付近の風景との調和をはかるようフランス風クラシック調のデザインに設計されています。平成3年10月に架け替えられました。
1913年、東京市は赤坂離宮(迎賓館)と調和するフランス風クラシック調のデザイン設計の橋を現在のJR四ツ谷駅上に架けました。橋は1991年に架け替えられましたが橋灯などに当時の趣を見ることができます。



新宿通り(四谷大通り)を進み、四谷一丁目交差点の先、東急ステイ(ホテル)を超えた路地を左折し、直進すると西念寺に着きます。

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4.西念寺 若葉二丁目9manjis15.jpg
服部半蔵の寺
浄土宗の西念寺は専称山安養院と号し、1593年(文禄2年)麹町清水谷に服部半蔵正成により開山した後、1634年(寛永11年)に現在地に移転しました。
徳川家康が当時の天下人織田信長の命で断腸の思いで切腹を命じた最愛の我が子信康の介錯を行ったのが重臣服部半蔵です。しかし半蔵はついにその手を下すことなく世の無常を感じ、また信康の冥福を祈るため仏門に入り、家康が江戸に入った3年後(1593年)、信康の霊と徳川家忠魂の冥福を祈念するための一宇建立の内命を受け、金500両を賜ったと記録されております。境内に服部半蔵の墓(新宿区指定史跡)、徳川信康供養塔(新宿区指定史跡)、本堂には服部半蔵の槍(新宿区登録有形文化財)などがあります。



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西念寺を出て左折し、寺域伝いに進み、観音坂に左折し直進すると若葉二丁目商店街に出ますので左折します。メイトー牛乳(田邊乳業)を右折すると戒行寺坂です。



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少々きつい坂ですが登りつめると戒行寺です。頑張りましょう。



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5.戒行寺 須賀町9-3manjis15.jpg
日蓮宗。文禄4年(1595年)玉泉院日養上人によって麹町8丁目に唱題修行の戒行庵として創建され、寛永11年現在地に移転し戒行寺が建立されました。
池波正太郎の著作「鬼平犯科帳」の主役長谷川平蔵の供養塔と長谷川家のお墓があります。



戒行寺を出て戒行寺坂をさらに進むと西応寺に着きます。

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7.西応寺 須賀町11-4manjis15.jpg
真宗大谷派。「最後の剣客」と呼ばれた榊原鍵吉の墓があります。榊原鍵吉は、幕末から明治に活躍した武芸者で、維新後は帯刀を禁じられた武芸者の救済として撃剣興行を広め、天覧兜割りで名をはせました。



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西応寺を出て向かいの勝興寺の塀沿いに路地があります。これを進むと須賀神社の参道石段に着きます。



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7.須賀神社 須賀町5manjis15.jpg
主祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)・宇伽能御魂命(うかのみたまのみこと)
須賀神社は江戸初期より四谷の地に鎮座しており現在は東京四谷18ヵ町の総鎮守です。
明治時代以前に牛頭天王社と稲荷社の二社あったものを一社に合祀して『須賀神社』と呼ぶようになりました。
毎年6月に開催される例大祭は、古くは「四谷の天王祭り」「かっぱ祭り」と呼ばれ江戸の五大祭りのひとつとして有名でした。
社殿内天井には、新宿区指定文化財(絵画)の『三十六歌仙の絵』が空襲の難を逃れて伝えられています。また、伊豆の長八の高弟で四谷の左官・吉田亀五郎作の「鏝絵」なども伝えられています。境内には享保13年(1728年)の狛犬と四谷見附記念石材が保存されています。
四谷の総鎮守として崇拝され社殿は金色燦然と輝く荘厳華麗な建築物です。天保7(1836)年に完成され三十六歌仙絵が奉納されており、区の有形文化財にも指定されています。毎年6月には例大祭が行われ四谷の町は神輿担ぎのかけ声でにぎわいます。

LinkIcon須賀神社のホームページはこちらからどうぞ



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須賀神社の社殿を背にして二の鳥居を出た左手に石段の坂があります。ここは例大祭のときに本社神輿や町内神輿が宮入りのために昇る石段です。これを下って右折すると右に参道の急な石段が見えますが、これを左折します。



P1050777.JPG直進すると東福院坂下の四つ角に出ます。東福院坂は四谷大通り(新宿通り)四谷一丁目に到達する坂道です。坂を上ってすぐに右に愛染院、左に東福院が現れます。



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8.愛染院 若葉二丁目8-3manjis15.jpg
真言宗豊山派(新義真言宗)愛染院は、獨鈷山光明寺と号し、御府内八十八ヶ所霊場18番札所です。
内藤新宿生みの親である高松喜六、「群書類従」の編者として名高い江戸時代中期の国学者・塙保己一の墓などがあります。ご本尊は大日如来像です。
境内には綺麗に剪定された樹木が点在します。



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9.東福院 若葉二丁目2-6manjis15.jpg
新義真言宗の東福院は、宝珠山と号し、御府内八十八ヶ所霊場21番札所です。
天正3年(1575年)法印祐賢上人(ほういんゆうけんしょうにん)により開基され、下護者大沢孫右衛門尉(げごしゃおおさわまごえもんのじょう)によって麹町9丁目に創建。寛永11年(1634年)この地に移転しました。
ご本尊は大日如来像です。お寺の前の通りが東福門院坂です。
お寺の境内には有名な豆腐地蔵尊があります。

LinkIcon東福院のホームページはこちらからどうぞ



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東福院をあとに、もと来た東福院坂を下り、四つ角を右折します。S字カーブを道なりにしばらく歩くと円通寺坂に出ます。



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細い登りの路地を進み最初の路地を右折すると女夫坂に出ます。丸正ビルの角を左折してしばらく直進すると日蓮宗報恩寺に突き当るので右折します。
1本目の路地を右折して直進するとお岩稲荷神社に着きます。




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10.お岩稲荷田宮神社 左門町17toriis15.jpg
江戸時代、四代目鶴屋南北の『東海道四谷怪談』で有名な民谷伊右衛門の妻・お岩をまつったお岩稲荷神社の旧地で、東京都指定旧跡です。
南北の歌舞伎の影響力は大きくやがて、上演前に参拝しないと役者が病気になったり事故が起こるといった祟りの話にまで発展するようになりました。神社には古今の著名歌舞伎役者や新派役者から奉納された石碑・石材が数多く見受けられます。
明治5年頃『田宮稲荷』と改められ現在は飛地境内社としてお岩稲荷の旧地を守っています。
四世鶴屋南北(1755-1829)の戯曲「東海道四谷怪談」の主人公・お岩は実は物語より200年ほどの前の人物で、夫婦仲も睦まじく働き者で日頃から家に伝わる稲荷を信仰し、窮乏していた家を再興したという人物です。近隣の人はお岩の幸運にあやかろうとお岩の屋敷をお岩稲荷と呼んで信仰するようになりました。

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お岩稲荷神社を背にして左(北側)に進み3本目の路地を左折して直進すると外苑東通りに出ます。



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コンビニ・ローソンを右折して北上し、四谷警察署の前の横断歩道を渡ります。


P1050820.JPG横断歩道を渡り、右に直進すると新宿通りに出るので、これを左折して直進します。一つ目の信号の左側に長善寺の門が見えてきます。


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11.長善寺(笹寺)四谷4-33manjis15.jpg
曹洞宗四谷山。天正3年、武田氏の臣高坂弾正昌信の居所にむすばれた草庵から起こったお寺です。本尊の釈迦如来石像は元禄3年(1690)7月に造られました。四谷界隈では「笹寺」と呼ばれています。この名は、二代将軍徳川秀忠が鷹狩の途中ここに立ち寄った際に境内に笹が茂っているのを見てつけたものだとも、三代将軍徳川家光が江戸巡覧をした時のことだともいわれています。寺宝に徳川秀忠念持仏「めのう観音」があります。境内には「四谷勧進角力始祖」と刻まれた3m程の石碑があり、寛永元年に力士明石志賀之助が境内で6日間の相撲興行をしたのを記念し江戸の勧進相撲のはじめとして東京角力協会が建てたものです。



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長善寺を出たら新宿通りの横断歩道を渡り、右折して進むと四谷三丁目交差点の四谷消防署に出ます。



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これを左折すると外苑西通りになりますので道なりに進みます。



P1050848.JPGやがて左にもつ焼き居酒屋「のんき」が見えますので左折すると全勝寺の門前となります。



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12.全勝寺 舟町11-6manjis15.jpg
雄峰山全勝寺は、埼玉県岩槻の曹洞宗常泉寺の末寺です。天正六年(1578)、麹町貝塚に創立したときは竜源寺と称していました。その後元和二年(1616)牛込藁店に転じ同年五月四谷に移ってきました。開山は栄巌清繁和尚です。
寺号を全勝寺に改称したのにはこんな理由があります。麹町貝塚時代の檀家に朝倉某という武家がありましたがこの家は不幸にも断絶してその屋敷跡も分からなくなくなっていました。ところがこのお寺が四谷に移ってからしばらくして 境内にもと朝倉氏の居宅があったことが判明したました。因縁浅からずと感じた当時の住職が朝倉氏供養のため、その法名「興隆院殿等全勝居士」から全勝寺と改名しました。
全勝寺の山門には靖国通りに下る(北上する)道があります。江戸時代には一帯が杉林で杉材の産地でした。この杉の若木の皮を剥いで「四谷丸太」として出荷していました。明治以降、生産地は高井戸などに移りましたが「四谷丸太」の名は残りました。
全勝寺には、大正末期まで「書籍姫の墓」というものがありましたが、昭和の始めに茨城笠間に移されてしまいました。この墓は牧野備後守成貞(常陸笠間八万石)の娘常子のもので、当時墓石に耳を当てると姫が本を読む声が聞こえるといわれていました。墓前に小さなお堂があって中には仏書やお経が並べられていました。その本は貸してくれますが、返すと時は別の本を一冊添えて返すことになって ました。もし借りた本を返さないときには、毎晩姫が夢枕に立って催促するという話が伝わっています。



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全勝寺からもと来た道を戻り外苑東通りに出て信号を渡ります。



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道路を渡ると右と左に別れる路地があるので左の路地を進んで車力門通りを渡ってすぐに左の細い路地に入ります。風情のある石段の坂道です。これを下りながら道なりに進むと右手に池が見えてきます。ここが津の守(つのかみ)弁財天と策(むち)の池です。


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13.津の守弁財天と策(むち)の池manjis15.jpg
住宅地の中にひっそりと佇む小さな弁天様です。弁天はもとは土地に豊穣をもたらすインドの神様だそうですが、のちに学問、音楽の神様としても親しまれるようになりました。芸妓さんの多かった荒木町では皆が詣でたのでしょうか。策(むち)に池と呼ばれる小さな池も当時のままに静かな安らぎの空間がここにあります。



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津の守弁財天を出て風情のある石畳の坂を左手に進むと金丸稲荷神社に着きます。


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14.金丸稲荷神社toriis15.jpg

祠を守る二尾の狐の像が車力門通りを過ぎる多くの人々や車輌を、今日もジッと見続けています。イラストでは正面に鳥居がありますが、現在は横に移っています。いつのまに変わったのでしょうか。後背地は現在、小公園として整備されちょっとした憩いの場となっています。
天和3年(1683)美濃高須藩藩祖の松平摂津守義行が、現在の新宿区荒木町一帯を幕府より拝領し上屋敷としたそうです。松平摂津守義行は尾張家徳川光友の次男であり、徳川御家門であったとのことです。。美濃高須藩の藩主の守護神としてここに建立された金丸稲荷神社は、現在も残り崇敬されています。



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金丸稲荷から車力門通りを南に進み新宿通りに出て右折すれば本ルートの終点である四谷三丁目の交差点に出ます。お疲れさまでした。

四谷タウンの文化スポットご案内

第二章 四谷はユニークな博物館スポットなんです

新宿歴史博物館hoshi15.gif

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新宿の歴史や文化に関する資料の収集保存、調査研究、展示公開する施設として平成元年に開館しました。旧石器時代から昭和初期までの新宿を紹介する常設展示のほか、特別展、所蔵資料展、講座などが開催されています。

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新宿ミニ博物館(須賀神社)hoshi15.giftoriis15.jpg

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東京・四谷の総鎮守である須賀神社の社殿には新宿区指定有形文化財(絵画)の三十六歌仙絵と、名工の手になる鏝絵(こてえ)が公開されています。

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消防博物館hoshi15.gif

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館内は各フロアごとに時代やテーマ別に分かれており消防の歴史や装備などを一堂に集めて展示しています。手引きポンプ、消防二輪車、消防自動車、ヘリコプター等乗り物もたくさんあり、子供から大人まで楽しみながら消防を学べる博物館です。

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四谷ひろば(東京おもちゃ美術館・CCAAアートプラザ)hoshi15.gif

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東京おもちゃ美術館では日本の伝統家具から世界50カ国の木製玩具などを紹介。実際におもちゃを手に取り子供だけでなく大人同士で一緒に楽しめます。CCAAアートプラザの「手で見るギャラリー」では常設の彫刻作品を触って鑑賞できます。まら貸しギャラリーがりイベントや展示会を開催しています。

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釣り文化資料館hoshi15.gif

散逸の危機に瀕した伝統釣具や関係資料を保存し、後世に残したいとの思いから1989年に全国初の本格的な公開施設として開設しました。館内は和竿や魚籠など約1,000点の釣具が展示されています。

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民音音楽博物館hoshi15.gif

古典ピアノ室では16世紀末のチャンバロからモーツァルトやベートーヴェンが活躍していた時代のフォルテピアノや近代のピアノまでを常設し20分ほどの簡単な開設や演奏を楽しむことができます。

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駐日韓国大使館・韓国文化院hoshi15.gif

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韓国文化院では、毎週水曜日(14:00-15:30)、韓国や韓国文化をわかりやすく紹介するための見学会を実施しています。韓国、韓国文化に関する説明や韓国伝統衣装「ハンボク」の試着、文化施設見学-昔の家屋「サランバン」など韓国や韓国文化について学ぶことができます。

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アンパンマンショップhoshi15.gif

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全国のこどもたちに愛されている「アンパンマン」の生みの親、やなせたかしさん(新宿区名誉区民)が2万点のアンパンマングッズをそろえました。金曜日にはフルート演奏(無料)が行われています。

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ポートレートギャラリーhoshi15.gif

50有余年の歴史と日本全国に会員を有する(社)日本写真文化協会が運営するフォト・ギャラリーです。

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キムチ博物館hoshi15.gif

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韓国食材と韓国料理の老舗「妻家房」四谷本店内にあるの日本初のキムチ博物館です。歴史や道具など、キムチに関することを展示しています。

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